ドリーム 私たちのアポロ計画は見終わったらそんな悪い邦題でもなかったかなと思う。

邦題の改変騒動でひと波乱あった『ドリーム』。

 

結論から言うと邦題変えなくても良かったと思います。

 

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暇だったので公開初日に見に行きました。レイトショーの割に半分異常埋まっている座席。

 

簡単なあらすじとしては未だ人類が月に到達していないころ、アメリカ。ソ連に有人飛行で先を越されるさなか、NASAにおいての初の有人飛行であるマーキュリー計画の中で黒人差別や女性蔑視に晒されながらも屈曲に己の持ち宇宙のために働いていた数学者の黒人女性たちの活躍を描いた映画です。

 

原題が"Hidden figures"というタイトル。figureには様々な意味があり、人の姿、数字数式などの意味がある。この原題は差別で日の目を浴びられなかった彼女たちを意味し、また、マーキュリー計画において主人公キャサリンが見つけられた数式たちも意味するのだろう。

 

要所要所のセリフが洗練され、キメるとこでキメてくれて構図の反復などをさらっと組み込んできたり、うまいと感じさせられる。音楽もPharrell Williamsが全曲プロデュースしているだけあってとても印象的で画面に合っている。大衆向けの映画作品としてとても良く出来ていてまただからといってそこにあぐらをかかない技術的な部分もしっかりしている良作だった。

 

 

 

以下、細かいネタバレを含みます。

 

 

上記の反復だが、冒頭のキャサリンがまだ子供の頃の描写、教師にチョークを渡され問題を問いてご覧と言われるシーン。重要な会議において本部長にその場で着水位置を計算してみろというシーンに重なる。また、分かりやすい所でいうとしつこい位挟まれる働いている場所から遠い黒人専用のトイレへと走るシーン。最後でその道をキャサリンを呼び戻すために走る白人男性。それだけじゃなくて、その道を再度”二人で”戻っていく所がいい。

 

個人的に好きなシーンが他にもある。当時コンピューターの導入がされるところで今まで黒人女性が手動で計算していた部分がコンピューターにとって代わられることを予期したコンピューターおばあちゃんことドロシー・ヴォーンが先立って勉強し部下たちにプログラミングを教え込む。白人の男性たちが悪戦苦闘しているなかさらっと機材のトラブルを直してしまい、時間がないなか彼らは彼女らに頼らざる負えなくなり、事例で地下の黒人ばかりの計算室から大手を振って廊下を歩くシーン。ショムニかよ。って思いながらすげえ格好よかった。

 

こっからが主題。

 

総じてとてもいい映画だった。そこで問題なのが「ドリーム 私たちのアポロ計画」見終わってみるとそう悪くない邦題だなと思えるのだ。

 

たしかに一連の話の主軸はマーキュリー計画ではあるものの、マーキュリー計画の書類のなかに彼女たちの名前は記録されていないのだ。しつこく報告書にキャサリンが名前を残そうとしては消されるシーン印象的だったはず。マーキュリー計画の成功の後、映画のラストでは彼女の名前がアポロ計画の書類のなかに刻まれる描写が入るわけだ。マーキュリー計画においてはまだ白人たちの計画だったものが、この映画の中の成功後、彼女たちもようやく表立って参加出来るようになる。

 

つまるところ、私たちのマーキュリー計画ではなかったが、私たちのアポロ計画ではあるわけだ。

 

こんな風に考えると邦題は悪くない、むしろ良い邦題のような気がしてくる。何事も見てみないと分からないですね。

 

邦題を批判していた人たちは見に行ってるのかすら謎ですが、そんな感じの映画でした。